異議あり!
お早うございます。寒いですね。
今日は、紅葉を見に出かける予定なので
朝の散歩は中止。
昨日の「チコちゃんに叱られる」を見ていたら、
日本中に、クリスマスの文化を一気に広めるきっかけに
なったのが、昭和41年から放送の海外ドラマ「奥様は魔女」。
というナレーションがあったが、それは、いくらなんでも
おかしいだろうと思った。
異議あり!定かではないが、ぼくが小学校にあがるかあがらないかの
昭和30年頃、すぐ上の姉とクリスマスの夜中に起きて、プレゼントと
お菓子の詰まったブーツがテーブルに、置いてあるのを確認し、
喜びにうちふるえた、のだから、昭和41年の「奥様は魔女」を
待たずとも、クリスマス文化はあったのである。
「チコちゃんに叱られる」は、すぐれた番組で楽しく見て
いるのだが、「奥様は魔女」が日本のクリスマス文化を
広めるきっかけ説は、いただけない。原稿を書いたのが
若い人なのだろうか。
さて、今日の下手な似顔絵は、倉俣史朗さん。

御存知ない方も、多いと思われるが、倉俣史朗さんは
世界的インテリアデザイナーであり、我が母校の大先輩
であるのだ。残念ながら、1991年、56歳の若さで亡くなっている。
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朝の散歩は中止。
昨日の「チコちゃんに叱られる」を見ていたら、
日本中に、クリスマスの文化を一気に広めるきっかけに
なったのが、昭和41年から放送の海外ドラマ「奥様は魔女」。
というナレーションがあったが、それは、いくらなんでも
おかしいだろうと思った。
異議あり!定かではないが、ぼくが小学校にあがるかあがらないかの
昭和30年頃、すぐ上の姉とクリスマスの夜中に起きて、プレゼントと
お菓子の詰まったブーツがテーブルに、置いてあるのを確認し、
喜びにうちふるえた、のだから、昭和41年の「奥様は魔女」を
待たずとも、クリスマス文化はあったのである。
「チコちゃんに叱られる」は、すぐれた番組で楽しく見て
いるのだが、「奥様は魔女」が日本のクリスマス文化を
広めるきっかけ説は、いただけない。原稿を書いたのが
若い人なのだろうか。
さて、今日の下手な似顔絵は、倉俣史朗さん。

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